『100年後の街』新聞広告から ― 2011/01/16 14:24
今年の元旦の新聞全面広告に、昔からよくある未来予想図が出ていた
高層住宅が建ち、新幹線のような高速列車が走り、個人が空中を飛行移動できる風景、地上の道路には整然と走る車・・・
一番目を惹いたのが道路の車
今のように道路を縦横無尽に走り回る車ではなく、レールのようなものに導かれて走る車が描かれている。詳しくはわからないがレール以外のところは走れないようだ
現在道路交通は道路交通法によって規制されている。文章によって数多くの規則が述べられ、信号機・車線・標識などが設けられ、罰則規定もある
それらが正しく守られ実行されれば平和な道路交通になるに違いない
しかし自動車という個別輸送なるがゆえにそれを運転する人間は千差万別だ。たった1ヶ月ほどの教育でハンドルを握る者から数十年のベテラン、認知があったり運動神経の弱った高齢者、正直者から無法者、自己中心的な者、急ぎの用事の者、病気持ちの者などなど。免許証さえ持てば誰でも走り回ることができる
そして車両はそのような能力差に対応しているわけではない。むしろ最高能力者が満足できる形になっていかざるを得ない
ほとんどの道路は車・自転車・歩行者などの混合通行である
それらがまったく意思疎通のないまま、大きさもスピードも大きく違うまま自由に動き回る
当然その中の強者といわれる自動車もいわばまったく無秩序に近い状態で走ってる
このような混合交通の中でお互いの接触が起こるのはあまりにも当然である。そして弱者が大きな被害を受けるのも当然である
ここ50年の間ずっと、大きな問題として取り上げられてきたにもかかわらずほとんどが小手先の手直しで済まされてきている
年々交通死者数は減ってはきているがまだ年間1万人近い人が死亡している。事故数は減ってはいない。交通戦争と長らく言われながら解決しない現実、車によって殺されたといえないこともない
生活していく中で色々な道具だとか消耗品や食品を使用するが、その使用の過程で年間数千人の死亡者が出るものが他にあるだろうか
使用によってわずかでも死者が出れば大きな問題として取り上げられ、使用禁止製造禁止などの措置が取られ、製造者には賠償も求められる。当然のことである
ところが車という道具でこれだけの『殺人』がなされながら、なぜこんなに寛容なのだろうか。いつまでこの『殺人マシーン』を野放しにしていくのだろうか
経済対策だといって車の販売を政府が後押しするなどなんとばかげた考えだ。事故の起きない道路交通システムを作り上げることに投資をするのも経済対策になるはずだ
ある自動車解説者がいっていたが、運転手が運転しない自動運転の車にし、運転したければサーキットの中だけで思いっきり運転すればよい、大賛成だ
新聞広告の未来図も、車と鉄道の融合のような形の、事故のない乗り物を描いているのであろう。この企業の見識の高さにほっとした
高層住宅が建ち、新幹線のような高速列車が走り、個人が空中を飛行移動できる風景、地上の道路には整然と走る車・・・
一番目を惹いたのが道路の車
今のように道路を縦横無尽に走り回る車ではなく、レールのようなものに導かれて走る車が描かれている。詳しくはわからないがレール以外のところは走れないようだ
現在道路交通は道路交通法によって規制されている。文章によって数多くの規則が述べられ、信号機・車線・標識などが設けられ、罰則規定もある
それらが正しく守られ実行されれば平和な道路交通になるに違いない
しかし自動車という個別輸送なるがゆえにそれを運転する人間は千差万別だ。たった1ヶ月ほどの教育でハンドルを握る者から数十年のベテラン、認知があったり運動神経の弱った高齢者、正直者から無法者、自己中心的な者、急ぎの用事の者、病気持ちの者などなど。免許証さえ持てば誰でも走り回ることができる
そして車両はそのような能力差に対応しているわけではない。むしろ最高能力者が満足できる形になっていかざるを得ない
ほとんどの道路は車・自転車・歩行者などの混合通行である
それらがまったく意思疎通のないまま、大きさもスピードも大きく違うまま自由に動き回る
当然その中の強者といわれる自動車もいわばまったく無秩序に近い状態で走ってる
このような混合交通の中でお互いの接触が起こるのはあまりにも当然である。そして弱者が大きな被害を受けるのも当然である
ここ50年の間ずっと、大きな問題として取り上げられてきたにもかかわらずほとんどが小手先の手直しで済まされてきている
年々交通死者数は減ってはきているがまだ年間1万人近い人が死亡している。事故数は減ってはいない。交通戦争と長らく言われながら解決しない現実、車によって殺されたといえないこともない
生活していく中で色々な道具だとか消耗品や食品を使用するが、その使用の過程で年間数千人の死亡者が出るものが他にあるだろうか
使用によってわずかでも死者が出れば大きな問題として取り上げられ、使用禁止製造禁止などの措置が取られ、製造者には賠償も求められる。当然のことである
ところが車という道具でこれだけの『殺人』がなされながら、なぜこんなに寛容なのだろうか。いつまでこの『殺人マシーン』を野放しにしていくのだろうか
経済対策だといって車の販売を政府が後押しするなどなんとばかげた考えだ。事故の起きない道路交通システムを作り上げることに投資をするのも経済対策になるはずだ
ある自動車解説者がいっていたが、運転手が運転しない自動運転の車にし、運転したければサーキットの中だけで思いっきり運転すればよい、大賛成だ
新聞広告の未来図も、車と鉄道の融合のような形の、事故のない乗り物を描いているのであろう。この企業の見識の高さにほっとした
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