横川鉄道文化村 ― 2008/10/15 23:33

鉄道記念日切符を使って久しぶりにムーンライトながらに乗ってみよう思った。
この切符は3回分で使用期間も半月ぐらいと短いので買えない年もあるが、今年は1週間で使い切ろうと買うことにした。案の定、駅員さんがあと1週間しかないけどいいですかと心配してくれた。
2008年10月14日(火)、22時過ぎ、近くのバス停の最終便で岐阜駅に向かう。なんともう一人お客さんが乗ってきた。
23時29分まで1時間以上ある。飲食店街を歩いてみるがもはや店じまい中でお客さんはパラパラ。これだけで判断してはいけないが”岐阜の町どうしたんだ!”
時間はまだあるがホームへ上がる。しかし1番線でなく6番線に・・23時9分に6番線から出る寝台特急「はやぶさ・富士」を見てみようと思ったわけだ。九州へのブルートレインはもうこれ1本になってしまった。そしてこれも来年3月には廃止になるとか。なぜ?日本の鉄道にとって本当にいいのだろうか?新幹線・飛行機なら確かに短い時間で着いてしまう。ブルトレの特急・寝台料金も安くはない。でも「狭い日本そんなに急いでどこへ行く!」
今日の岐阜駅からは初老の夫婦1組と学生風の男性1人が乗って出発していった。次は京都まで停まらない。3月までにぜひもう一度乗って九州へ行ってみたい。
ムーンライトながらは定時に入ってきた。この列車も来年3月のダイヤ改正で臨時列車に格下げするという。これこそ「なぜ?」だった。人気列車として繁忙期には指定席も取りにくいといわれてきた。
今日は2年ぶりぐらいだが、指定席は2日前でも確保できた。やはり夜行は嫌われてきたのかと思っていたが、入ってきた列車には”ようけ”(たくさん)のお客さんが乗っているではないか。乗った車両も60%ぐらいの乗車率だった。
鉄道記念日切符は0時から24時間有効なので、本日分はいつものように大府駅までの普通切符で乗り、その後記念日切符で乗ることになる。優等列車用の車両でリクライニングもするがやはりぐっすり眠ることは難しい。
今回は大宮の鉄道博物館か横川の鉄道文化村にするか迷ったが、開館時間や岐阜帰着時間などを考えて横川にすることにした。
東京着が5時5分で以前より25分ぐらい遅くなったため上野から北行き各線の始発に間に合わなくなった。5時43分発新前橋行きで高崎乗換え、横川に8時着予定。
上野を出たときはガラガラだった車内も各駅に停まってゆく間に学生などが乗り降りし高崎に着くころには満員になってきた。ところが高崎到着間近に、上越線の高崎の次の駅で踏切事故が発生し運転見合わせ中とのアナウンス。横川行きは信越線なので運転するというのでホームへ行くとホームは人であふれ、横川行きの前に発車予定の水上行きが乗客を乗せたまま停車中で乗るべき電車がない。すると水上行き電車を横川行きに変更すると言う。
ラッシュ時間帯で混乱する高崎駅を15分ほど遅れて出発した電車は、かっては東京と長野方面を結ぶ幹線だったところをローカル線的に進んでゆく。浅間山・奇形の妙義山を見ながら山に近づく。横川駅で降りた客は数えるほどしかいなかった。
昨夜ムーンライトながらでは検札が来なかったので本日分の検印を横川駅で受ける。
長野新幹線が開通するまではここ横川と長野県の軽井沢の間の急勾配を乗り切るため、列車の両端に補助機関車を連結して峠越えしていた。だから横川駅にはすべての列車が停車しそしてそのお客さんのための駅弁として、今は高速道路でも有名になった峠の釜めしが誕生した。
横川鉄道文化村は駅に隣接している。9時の開園まで40分ほどあるので周りを一周してみた。駐車場を横切るレールが横川駅からJR線のほうへ延びており、他方は峠に向けて延びていた。南側は国道18号を車がビュンビュン走っている。
鉄道の硬券切符に似せた入場券を500円で買い入場する。通例のように屋外には古い車両が展示され、屋内には鉄道模型ジオラマや運転台のシュミレーターがあるが、やはりここでは碓氷峠越えのアブト式鉄道の歴史・資料が目を引く。アブト式から粘着式へまた新線の敷設で開通当初1時間以上かかっていたのが廃止時には15分ほどで峠越えできるようになった。そして峠に向かっての2.6キロにトロッコ列車を走らせている。これを発展させて軽井沢までの鉄路を観光鉄道として復活させる日がそう遠くなく来るとのこと。待ちどおしいものだ。
岐阜でも飛騨市で廃止になった神岡鉄道を観光鉄道化して復活させると話題になったが、市長選挙で落選して消えてしまった。
12時のJRバスで峠越えして軽井沢へ。軽井沢駅からはJRから切り離され第三セクターになったしなの鉄道になる。このしなの鉄道には繋がっていないが、1本のレールが横川方向へ延びていた。
篠ノ井までのしなの鉄道は1400円、イベント用に湘南色になった旧急行用電車でグリーン車風の車両であった。篠ノ井からはJRに戻り飯田行きの快速、日本3大車窓の1つである姥捨からの善光寺平を眺め塩尻まで乗る。通常なら松本で中津川行きに乗換えるが塩尻駅ホームで駅弁の釜めしを買いたくて塩尻まで来た。
塩尻で多くが降りた中津川行きは想像とは違いゆっくり座ることができた。中津川・名古屋で乗換え、家に着いたのは21時半近かった。
この切符は3回分で使用期間も半月ぐらいと短いので買えない年もあるが、今年は1週間で使い切ろうと買うことにした。案の定、駅員さんがあと1週間しかないけどいいですかと心配してくれた。
2008年10月14日(火)、22時過ぎ、近くのバス停の最終便で岐阜駅に向かう。なんともう一人お客さんが乗ってきた。
23時29分まで1時間以上ある。飲食店街を歩いてみるがもはや店じまい中でお客さんはパラパラ。これだけで判断してはいけないが”岐阜の町どうしたんだ!”
時間はまだあるがホームへ上がる。しかし1番線でなく6番線に・・23時9分に6番線から出る寝台特急「はやぶさ・富士」を見てみようと思ったわけだ。九州へのブルートレインはもうこれ1本になってしまった。そしてこれも来年3月には廃止になるとか。なぜ?日本の鉄道にとって本当にいいのだろうか?新幹線・飛行機なら確かに短い時間で着いてしまう。ブルトレの特急・寝台料金も安くはない。でも「狭い日本そんなに急いでどこへ行く!」
今日の岐阜駅からは初老の夫婦1組と学生風の男性1人が乗って出発していった。次は京都まで停まらない。3月までにぜひもう一度乗って九州へ行ってみたい。
ムーンライトながらは定時に入ってきた。この列車も来年3月のダイヤ改正で臨時列車に格下げするという。これこそ「なぜ?」だった。人気列車として繁忙期には指定席も取りにくいといわれてきた。
今日は2年ぶりぐらいだが、指定席は2日前でも確保できた。やはり夜行は嫌われてきたのかと思っていたが、入ってきた列車には”ようけ”(たくさん)のお客さんが乗っているではないか。乗った車両も60%ぐらいの乗車率だった。
鉄道記念日切符は0時から24時間有効なので、本日分はいつものように大府駅までの普通切符で乗り、その後記念日切符で乗ることになる。優等列車用の車両でリクライニングもするがやはりぐっすり眠ることは難しい。
今回は大宮の鉄道博物館か横川の鉄道文化村にするか迷ったが、開館時間や岐阜帰着時間などを考えて横川にすることにした。
東京着が5時5分で以前より25分ぐらい遅くなったため上野から北行き各線の始発に間に合わなくなった。5時43分発新前橋行きで高崎乗換え、横川に8時着予定。
上野を出たときはガラガラだった車内も各駅に停まってゆく間に学生などが乗り降りし高崎に着くころには満員になってきた。ところが高崎到着間近に、上越線の高崎の次の駅で踏切事故が発生し運転見合わせ中とのアナウンス。横川行きは信越線なので運転するというのでホームへ行くとホームは人であふれ、横川行きの前に発車予定の水上行きが乗客を乗せたまま停車中で乗るべき電車がない。すると水上行き電車を横川行きに変更すると言う。
ラッシュ時間帯で混乱する高崎駅を15分ほど遅れて出発した電車は、かっては東京と長野方面を結ぶ幹線だったところをローカル線的に進んでゆく。浅間山・奇形の妙義山を見ながら山に近づく。横川駅で降りた客は数えるほどしかいなかった。
昨夜ムーンライトながらでは検札が来なかったので本日分の検印を横川駅で受ける。
長野新幹線が開通するまではここ横川と長野県の軽井沢の間の急勾配を乗り切るため、列車の両端に補助機関車を連結して峠越えしていた。だから横川駅にはすべての列車が停車しそしてそのお客さんのための駅弁として、今は高速道路でも有名になった峠の釜めしが誕生した。
横川鉄道文化村は駅に隣接している。9時の開園まで40分ほどあるので周りを一周してみた。駐車場を横切るレールが横川駅からJR線のほうへ延びており、他方は峠に向けて延びていた。南側は国道18号を車がビュンビュン走っている。
鉄道の硬券切符に似せた入場券を500円で買い入場する。通例のように屋外には古い車両が展示され、屋内には鉄道模型ジオラマや運転台のシュミレーターがあるが、やはりここでは碓氷峠越えのアブト式鉄道の歴史・資料が目を引く。アブト式から粘着式へまた新線の敷設で開通当初1時間以上かかっていたのが廃止時には15分ほどで峠越えできるようになった。そして峠に向かっての2.6キロにトロッコ列車を走らせている。これを発展させて軽井沢までの鉄路を観光鉄道として復活させる日がそう遠くなく来るとのこと。待ちどおしいものだ。
岐阜でも飛騨市で廃止になった神岡鉄道を観光鉄道化して復活させると話題になったが、市長選挙で落選して消えてしまった。
12時のJRバスで峠越えして軽井沢へ。軽井沢駅からはJRから切り離され第三セクターになったしなの鉄道になる。このしなの鉄道には繋がっていないが、1本のレールが横川方向へ延びていた。
篠ノ井までのしなの鉄道は1400円、イベント用に湘南色になった旧急行用電車でグリーン車風の車両であった。篠ノ井からはJRに戻り飯田行きの快速、日本3大車窓の1つである姥捨からの善光寺平を眺め塩尻まで乗る。通常なら松本で中津川行きに乗換えるが塩尻駅ホームで駅弁の釜めしを買いたくて塩尻まで来た。
塩尻で多くが降りた中津川行きは想像とは違いゆっくり座ることができた。中津川・名古屋で乗換え、家に着いたのは21時半近かった。
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