信州上田から松本へ2009/01/05 20:45

2009年1月1日(木)、3年続けての正月旅行、今年は信州上田。そして今年も東京の娘が合流してくれる。
昨年1昨年と同様、青春18切符で岐阜駅から出発。だが今年は時間が1時間遅いので昨年までのように初日の出を岐阜駅のホームから拝むことはできなかった。
8時15分発の豊橋行き新快速に乗る。昨年1昨年の米原行きはよく込んでいたが逆方向の今年は空いていた。名古屋からの中津川行きも同様だ。しかし中津川からの松本行きは3両編成と短いので座席はかなり埋まっていた。中津川での乗換え時間は6分、だからか10人ぐらいの30代のグループが一人足りないと騒ぎ始めた。どうもトイレに行って乗り遅れたらしい。
塩尻からは乗客が増えた。ここへ来るといつも感じるのだがJR東日本の路線はJR東海に比べると乗客が多い。東日本と東海の考え方の違いが出ているのか?
12時27分松本着、次の長野行きまで1時間あるので、昼を食べるつもりだったが駅ビルの店舗は正月休み。結局コンビニ弁当をホームで食べることに。駅弁にすべきだった。
長野行きは始発と思いきや諏訪方面からの列車であった。乗客の多くが入れ替わって座席は確保できた。電車は左に安曇野を見ながらしかし3000m級の北アルプスは雲に隠れて望めない中を北上し、明科からは北東に向いて山の中へ入って行く。長いトンネルを抜けると今度は右の車窓が開け姥捨駅に到着。ここからの善光寺平を望む景色は日本3大車窓のひとつといわれている。姥捨駅のホームにあるイスは列車のほうではなくこの景色を見られるように反対側に向けてある。
そして電車は善光寺平へ降りてゆくのだが、後向きに発車した。100mほど進むと停止し再び反対方向へ進み始めた。ここはスイッチバックの駅であった。また少し降りると、駅ではないスイッチバックの信号所があり名古屋行きの特急しなのと行き違う。この近く中央東線や信越線にはかっていくつかのスイッチバックがあったが電化されて消えていった。特急が走る線に連続して残っているのは珍しいのじゃないかな。
山の地形を利用して高度を下げていき篠ノ井駅へ降りてきた。
塩尻から篠ノ井までが篠ノ井線で篠ノ井で信越線と接続している。長野新幹線は篠ノ井を通過しているが新幹線の開業と引き換えで、信越線篠ノ井ー軽井沢はJRから切り離されしなの鉄道となった。ということはここから上田までは青春18切符は使えない。
上田着15時17分、岐阜から7時間。東京の娘は長野新幹線で15時35分着、東京から1時間半。比べること自体が間違っているのか?!
新幹線が着くまでの間に、駅前の予約しておいたホテルで別所温泉入浴券つき上田電鉄往復切符2枚をもらい、もう1枚は駅の切符売り場で買っておいた。42分発の別所温泉行きまで時間が少ない。
上田電鉄の2両連結の電車は座席の70%ぐらいが埋まってる。地方ローカル線らしく単線の線路をいくつかの駅に停車しながら走って行く。古い車両に丸窓の電車があり、それを模したようにシールを張って丸窓風にいてある。岐阜の路面電車にも丸窓電車があったなあ・・・
陽が山に隠れ電車は別所温泉駅に着く。なんと上田へ帰る電車を待つ客で待合室が溢れている。当地に北向観音というのがありそこへの初詣客であろう。我らも風邪気味なので温泉はあきらめ初詣をすることにした。
しばらく歩くと屋台が現われそして人の流れが止まった、なぜだと顔を見合わせたが初詣の列らしい。あたりは暗くなり屋台の電気が明るくなった、電車を降りて1時間たった頃、やっと赤い大提灯の下で手を合わせることができた。
帰りには人の列もわずかになり電車も余裕で乗れ、18時半頃ホテルへ入ることができた。上田駅前のサンルートホテル上田。サンルートのホームページで55歳以上を対象にグレードの高いツインを格安に泊めてくれるプランがあり各地を探したが適用がなく、そんななか上田で電車の切符つきお値打ちプランを見つけ東京からも近いので決めた。
ホテルのレストランは正月休みで夕食は駅前の居酒屋へ行くが、地元の店ではなくチェーン店、それも超満員で2軒目で何とかありつけた。
次の日、切符の都合で娘は岐阜へ寄れず松本から東京へ帰るので朝はゆっくり。
昨日来た線を戻ることになる。長野行きのしなの鉄道はよく込んでいて座ることができない。篠ノ井で乗換え、甲府行きにはかろうじて座ることができた。昨日と同じようにスイッチバックしながら松本へ行く。今日も北アルプスは見えない。11時27分松本着。松本駅では列車が到着すると「まつもと~~」と女性の声で流れる。以前はどこの駅でも聞こえてきたが今はほとんど聞かない。この「まつもと~」は生でなく録音で残念だが他にはない駅の雰囲気を感じさせてくれる。
松本では5時間ある。松本城までメインロードを歩き、信州そばを食べ、帰りは裏道から駅前の大型店へ入り買い物。裏道以外は結構な人出である。正月ということもあるのだろうが、電車(公共交通)の利用者が多いところは町の中心街に人が集まるという事のあらわれだろう。
夕方、30分差で先に出る中津川行きを娘が見送ってくれ、中央西線・中央東線で東西に別れた。それぞれ塩尻の釜めしを抱えて・・・

八ヶ岳・野辺山高原2008/12/14 13:15

やっと冬の青春18切符の時が来た
2008年12月13日(土)、快晴の西岐阜を8時11分出発。名古屋8時47分発中津川行きに乗換え、さらに中津川10時10分発松本行きに乗る。この切符で朝松本方面へ行くとき通常この便しかない。もう1本あるといいと思うが・・・
しかし今日は中津川行きも松本行きも乗客は多くない。
塩尻12時12分発甲府行きで小淵沢へ向かう。昼からは曇ってくるという予報だったがまだまだそうゆう気配はない。茅野を過ぎると八ヶ岳が左車窓に見えてくる。進むにつれ雪をかぶった鋭い山容が快晴の下、陽を浴びてキレイに見ることができる。
小淵沢に近づくとそれまで雲ひとつなかった八ヶ岳あたりにうす雲がかかり始めた。小淵沢で小海線に乗換えだ。13時11分の小諸行きは甲府行きと同様かなりの乗客を乗せて出てゆく。
運よくこの2両連結の小諸行きは鉄道車両では世界初のハイブリッド車両だった。小海線は非電化単線だが高原鉄道として人気がある。ここに新型列車を投入するのもうなずける。列車内のポスターによれば、発車時は搭載された蓄電池の電気でモーターを回し走り、加速時は蓄電池の電気に加えディーゼルエンジンで発電機を回して発電した電気も使って走る。ホームに停車時にはディーゼルのあの音は出ない。静か・低公害・エコが売りのようだ。
八ヶ岳山麓へ向け高度を上げていくと木々の間に八ヶ岳が見え隠れする。どうも雲にも遮られているようだ。天気が悪化して八ヶ岳が見えないようだったら清里で下車して20分後に来る小淵沢行きで戻ろうと考えていた。しかし雲に隠れてはいるが天気は上々なので期待を持って野辺山まで行くことにする。
JR線路標高最高地点の踏切を過ぎると左に雄大な八ヶ岳連峰が見える、はずだがはっきりしない。
JR駅標高最高の野辺山駅は昭和40年にはじめて訪れて以来何度も来たが驚くことにそれから43年も過ぎている。43年前に比べれば駅前も様変わりしているが、それでもローカル線高原駅の空気はまだ漂っている。
野辺山13時47分着でちょうどここで交換して出て行った小淵沢行きの次の小淵沢行きに、清里駅で乗る予定。野辺山ー清里間は5.9キロ、歩く道も大差ない思う。清里15時33分発まで約1時間半、間に合うだろう。
駅横の観光案内所で地図の載ったパンフをもらい歩き始める。列車を降りた人たちはどこへ行ったのか誰も歩く人はいない。5分もするとまわりは畑と木々と山、そして小海線のレールしかない。
この時期この地域でありながら日差しがあり風も強くないからか、それほど寒くない。ただ八ヶ岳を隠している雲の流れは速く、横から光が当たる雪の山の姿が徐々に現われてきている。でも最高峰赤岳の頂はなかなかはっきり見せてくれない。
最高地点の踏切を過ぎたあたりから遊歩道があった記憶だが見つからない。国道141号と合流し国道を歩くことにする。列車の時間を考えると直線の国道のほうが時間的に安全のような気がした。
まもなく木々にさえぎられて八ヶ岳は見えなくなる。逆に車をお供に歩くようになり複雑な気分だ。時々車が途切れて静かになるとチョロチョロと流れる水の音が印象的だった。
清里近くの道路の分岐点で、車に対する「清里駅」への案内と歩行者への案内の矛盾を感じながら車のほうの案内に進んで一時方向を失ったが、美しの森方面へ行く見覚えのある道に出て無事清里駅に到着。列車発車の10分前だった。
清里は一時東京からの店が進出してチャラチャラの街になっていたが今は静かな街に戻りつつあるらしい。43年前初めて訪れたときの印象から、ここはと何度も訪れたものとしてこの傾向を聞いてホッとしている。
次の1両の列車は今までのディーゼルカーだった。小淵沢への急勾配を快調に下っているそのとき、運転手は警笛を鳴らし続けた。前を見るとなんとレールの上に鹿がいる、鳥もいた。警笛に驚いた彼らは間一髪木々の中に逃れた。同じ最前列にいた乗客となぜか顔を見合わせてニヤリ!
定時に到着した小淵沢駅のホームからは夕日に赤く染まった八ヶ岳が望めた。

横川鉄道文化村2008/10/15 23:33

鉄道記念日切符を使って久しぶりにムーンライトながらに乗ってみよう思った。
この切符は3回分で使用期間も半月ぐらいと短いので買えない年もあるが、今年は1週間で使い切ろうと買うことにした。案の定、駅員さんがあと1週間しかないけどいいですかと心配してくれた。
2008年10月14日(火)、22時過ぎ、近くのバス停の最終便で岐阜駅に向かう。なんともう一人お客さんが乗ってきた。
23時29分まで1時間以上ある。飲食店街を歩いてみるがもはや店じまい中でお客さんはパラパラ。これだけで判断してはいけないが”岐阜の町どうしたんだ!”
時間はまだあるがホームへ上がる。しかし1番線でなく6番線に・・23時9分に6番線から出る寝台特急「はやぶさ・富士」を見てみようと思ったわけだ。九州へのブルートレインはもうこれ1本になってしまった。そしてこれも来年3月には廃止になるとか。なぜ?日本の鉄道にとって本当にいいのだろうか?新幹線・飛行機なら確かに短い時間で着いてしまう。ブルトレの特急・寝台料金も安くはない。でも「狭い日本そんなに急いでどこへ行く!」
今日の岐阜駅からは初老の夫婦1組と学生風の男性1人が乗って出発していった。次は京都まで停まらない。3月までにぜひもう一度乗って九州へ行ってみたい。
ムーンライトながらは定時に入ってきた。この列車も来年3月のダイヤ改正で臨時列車に格下げするという。これこそ「なぜ?」だった。人気列車として繁忙期には指定席も取りにくいといわれてきた。
今日は2年ぶりぐらいだが、指定席は2日前でも確保できた。やはり夜行は嫌われてきたのかと思っていたが、入ってきた列車には”ようけ”(たくさん)のお客さんが乗っているではないか。乗った車両も60%ぐらいの乗車率だった。
鉄道記念日切符は0時から24時間有効なので、本日分はいつものように大府駅までの普通切符で乗り、その後記念日切符で乗ることになる。優等列車用の車両でリクライニングもするがやはりぐっすり眠ることは難しい。
今回は大宮の鉄道博物館か横川の鉄道文化村にするか迷ったが、開館時間や岐阜帰着時間などを考えて横川にすることにした。
東京着が5時5分で以前より25分ぐらい遅くなったため上野から北行き各線の始発に間に合わなくなった。5時43分発新前橋行きで高崎乗換え、横川に8時着予定。
上野を出たときはガラガラだった車内も各駅に停まってゆく間に学生などが乗り降りし高崎に着くころには満員になってきた。ところが高崎到着間近に、上越線の高崎の次の駅で踏切事故が発生し運転見合わせ中とのアナウンス。横川行きは信越線なので運転するというのでホームへ行くとホームは人であふれ、横川行きの前に発車予定の水上行きが乗客を乗せたまま停車中で乗るべき電車がない。すると水上行き電車を横川行きに変更すると言う。
ラッシュ時間帯で混乱する高崎駅を15分ほど遅れて出発した電車は、かっては東京と長野方面を結ぶ幹線だったところをローカル線的に進んでゆく。浅間山・奇形の妙義山を見ながら山に近づく。横川駅で降りた客は数えるほどしかいなかった。
昨夜ムーンライトながらでは検札が来なかったので本日分の検印を横川駅で受ける。
長野新幹線が開通するまではここ横川と長野県の軽井沢の間の急勾配を乗り切るため、列車の両端に補助機関車を連結して峠越えしていた。だから横川駅にはすべての列車が停車しそしてそのお客さんのための駅弁として、今は高速道路でも有名になった峠の釜めしが誕生した。
横川鉄道文化村は駅に隣接している。9時の開園まで40分ほどあるので周りを一周してみた。駐車場を横切るレールが横川駅からJR線のほうへ延びており、他方は峠に向けて延びていた。南側は国道18号を車がビュンビュン走っている。
鉄道の硬券切符に似せた入場券を500円で買い入場する。通例のように屋外には古い車両が展示され、屋内には鉄道模型ジオラマや運転台のシュミレーターがあるが、やはりここでは碓氷峠越えのアブト式鉄道の歴史・資料が目を引く。アブト式から粘着式へまた新線の敷設で開通当初1時間以上かかっていたのが廃止時には15分ほどで峠越えできるようになった。そして峠に向かっての2.6キロにトロッコ列車を走らせている。これを発展させて軽井沢までの鉄路を観光鉄道として復活させる日がそう遠くなく来るとのこと。待ちどおしいものだ。
岐阜でも飛騨市で廃止になった神岡鉄道を観光鉄道化して復活させると話題になったが、市長選挙で落選して消えてしまった。
12時のJRバスで峠越えして軽井沢へ。軽井沢駅からはJRから切り離され第三セクターになったしなの鉄道になる。このしなの鉄道には繋がっていないが、1本のレールが横川方向へ延びていた。
篠ノ井までのしなの鉄道は1400円、イベント用に湘南色になった旧急行用電車でグリーン車風の車両であった。篠ノ井からはJRに戻り飯田行きの快速、日本3大車窓の1つである姥捨からの善光寺平を眺め塩尻まで乗る。通常なら松本で中津川行きに乗換えるが塩尻駅ホームで駅弁の釜めしを買いたくて塩尻まで来た。
塩尻で多くが降りた中津川行きは想像とは違いゆっくり座ることができた。中津川・名古屋で乗換え、家に着いたのは21時半近かった。

天竜峡に電車で行く2008/07/23 21:48

夏の青春18切符の時期がきた。
ふれあいバス始発に乗り、2008年7月23日(水)9時5分JR西岐阜を出て豊橋に向かう。ここを通るたびにいつも言う「ラグーナ蒲郡に行きたいね」
豊橋で25分待ち合わせの飯田線天竜峡行き10時43分発普通に乗る。天竜峡まで約3時間半の長丁場、昼ごはんを豊橋駅で仕入れておいた。
豊橋駅は今は珍しいJRと名鉄の共同駅で近い将来豊鉄も入るらしい。しかし名鉄のホームは3番線1本だけ。入線した電車は次の折り返し電車になるしかない。共同駅でなくて間借り駅なのかな。
そして豊橋駅を出た飯田線は豊川を渡るまでは名鉄とJRが1本づつレールを出し合い複線運行している。これはいい方法だと思う。分岐し豊川駅までは複線で都市間鉄道として本数も多い。
JR豊川駅も名鉄豊川駅と隣接している。かって愛知・岐阜の多くの駅でJRと名鉄は連絡しており、同一の改札口であったりレールもつながっていたが、今はほとんどが切り離されてしまった。別の会社だから当然といえば当然だが、利用者にとっては不便になったのは間違いない。JR東海はトイカというICカードを発行しているが名鉄も近い将来ICカードを導入するであろうが、首都圏や近畿圏のように共通に使えるようになるであろうか。何とか乗客の利便性を考えたシステムをつくリあげていってほしいものだ。
豊川駅を出ると単線になりローカル色がぐっと増してくる。少し大きな町に入ってきた。新城だ。この駅どまりの電車がかなりある。以前は東海道線大垣から新城行きが出ていたが今はない。首都圏や大阪圏ではJRの各線相互に電車が乗り入れて乗り換えを減らして利便性を図っているが、名古屋圏では一部でしか行われていない。東海道線と中央線・関西線との直通運転があってもよさそうだが。
徐々に山が近づいて来る。戦国時代織田軍と武田軍の長篠の戦が行われた設楽が原、そのときの武田側の長篠城などが線路の近くにあるはずだが、走る電車からでは私ではわからない。
中部天竜駅の構内には「佐久間レールパーク」という古い列車などを展示しているところがある。これからの夏休みには子供たちが集まってくるのだろう。見てみたいが残念ながらまたの機会にする。
いよいよこれからが飯田線のハイライトといったらしかられるかもしれないが、山と川しかないところを線路が行く。駅に道路が通じてない・駅の周囲何百メートル範囲に人が住んでないなどと言われる『秘境駅』が続くところだ。トンネルとトンネルの間に小さな駅がへばりついている。以前名前が同じということで乗客が押しかけた「おわだ」駅もこの中にある。秘境駅というと暗いイメージを持つが、実際通ってみて、片側に天竜川の流れを見ることができ視界が開けているので、決して暗いとは思わなかった。
14時6分定刻、天竜峡着。天竜峡下りの船は14時10分出港。間に合うのか?心配だったので豊橋から電話で確認しておいた。『すぐ来てくださいね』と言うことはOKということだ。駅すぐの天竜川にかかる橋を急いで渡り乗船券を買う。船の待つ川面は思ったより深いところにあった。
なんだ、私たちが最初のお客だった。あと4人が乗りお客6人の超ゆったり。それに船頭さんとガイドさんの乗った船が出港してすぐ両側には岩の壁が続く。字の彫られたいくつかの岩がいわれと共に紹介されているがあまり興味がない。先ほど通った飯田線が頭上をオーバークロスいている。ちょうど特急ワイドビュー伊那路が飯田を目指して鉄橋を渡っていった。川の流れは2ヶ所の浅瀬を除いては静かで、豪快な川下りを期待していたが空振りであった。40分ほどで唐笠港に接岸、いや港というより船着場、そこから少し登ったところに飯田線唐笠駅があった。ほかの4人は迎えに来た船会社のマイクロバスで戻って行ったが、私たちは15時17分発の豊橋行きで戻ることにする。
山の中のこの無人駅から他に乗る人はいなかった。

やっと身延山2008/03/29 00:00

以前、身延線には一度乗っている。でも乗り通しただけで途中下車はしていない。
今まで青春18切符ではただ乗るだけというのがほとんどだった。しかし去年あたりから、どこかの町を歩いてみるとかを考えるようになった。年をとったからかなあ。
2008年3月29日(土)、身延を目指す。西岐阜6:49発新快速に乗る。身延はやはり遠い、また身延線の山間部区間は列車本数が少ない。朝5時半に起きねばならなかった。
浜松まで直行2時間近くあるから乗車直後より眠気が襲う。浜名湖の湖面は見たが次に目を開けるとすでに浜松に到着していた。
8:44熱海行きはわずか3分の待ち合わせで出発。当然席はない。しばらくすると左前方に座っている学生風の男性4人組に30代ぐらいの外人さんが話しかけている。4人組は顔を見合わせていた。何事かと思っていると4人組は席を立ち始めた。するとそこへ外人さんは傍らにいた老夫婦を着席させた。私では余程のことでなければ外人さんにはなれないだろう。自分の弱さに申し訳ないと思う。ただ、言い逃れするのではないが、残念ながら日本人のこのような光景を見たことがない。もっと勇気を持ちたい。
10:36富士駅北端の身延線のホームから、静岡行きの特急ふじかわと交換するように普通甲府行きは出て行く。ので当然単線と思ったが平野部の富士宮までは複線であった。今日は富士山がその全容を表わしている。富士山が電車の前、右、左の窓にその威容を映すたびに乗客は移動する。西富士宮→沼久保間は左の窓から富士宮の市街地越に、裾野から山頂まで何にも遮られることなくスッポンポンの富士山が見られる。
身延には11:49に到着。山が目の前にあり富士山は見ることができない。満員の電車からどっと降り狭い駅舎は人で埋まる。そして駅前のバス停には長い列ができた。臨時のバスが出るとの情報が流れる。2台目のバスに乗るがすし詰め状態のまま終点まで、それが思ったより遠い。
身延山久遠寺、驚きの連続だった。参道を行き来する人出、巨大な山門、急坂で高さのある段差が約300段続く階段、立派な本堂、豪華に咲く満開の桜、下調べほとんどなしで来ていや立派なお寺だ!もう一度静かなときに来てみたい!
富士が見えるとの誘いで本堂裏からロープウエイに乗る。それがなんの乗車待ちの列が続いているではないか。予想以上の45分待ち。
ロープウエイの上昇につれ目の前の山から富士が頭を現し、徐々に大きくなっていく。ロープウエイ駅によると年2回、富士の頂からの日の出・・・ダイヤモンド富士が見られるという。
頂上駅より5分ほど登ると反対側には、雪のかぶった南アルプスの山々が連なっていた。